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- 2022年7月の記録
松田雅之さん
日本人を救う。そのためにまずこの村から。
猛暑日。
荒島岳と小荒島が重なり、美しい三角形を描く森目地区。
雑草が生え、周囲と比べると半分ほどの背丈の稲が生えそろう田んぼ。
オリジナルのロゴマークが大きくプリントされたTシャツを着た男性が、にこやかに迎えてくれた。
農道の脇の木かげを指差して「車、ここにとめてくださーい」
松田雅之さん65歳。
無農薬・無肥料で除草剤や殺菌剤を使わない「自然栽培」で米を作る農家さん。米の全国品評会で金賞を何度も受賞するほどの米づくりの達人だ。
共同栽培も含めると現在、5ha(ヘクタール)近くの農地を経営しており、そのうち2.5haを自然栽培で米作りを行なっている。この地を自然栽培の産地にすべく、日々奮闘されている。
物心ついた頃から農作業を手伝い、遊び場は田んぼや川や雑木林。
つらい農作業が嫌だったはずだが、小学校の作文にはなぜか「日本一の百姓になる」と書いていた。
元県庁職員で、農家を目指し農学部に入学したが、土木の土地改良の方へまわされてしまった。
家が兼業農家だったため農作業の手伝いはしていたが、訳もわからず、親からの農薬や肥料をまけという教えで言われるままに手伝っていた。
ある時、息子と農薬を散布していたところ、空気中に舞った農薬を息子が吸い込んでしまい倒れてしまった。
「これはあかん!自分たちの子供の頃は大丈夫だったのに、現代の子にはあかんのかもしれん」・・・
その頃にちょうどTVで、自然栽培先駆者である「奇跡のりんご」の木村秋則さんの特集を見て、こんな方法があるのかと感銘を受けた。2つのきっかけが重なり、もう迷いは無かった。
公務員をしながら独自で研究を進め、土日や有給を使い全国を回った。「部下に迷惑をかけながらも無茶をしてきた」。
全国には自分と同じ考えの人がたくさんいて、積極的に研修会に参加したり、自然栽培を実践されている田んぼに出向いたりして勉強を重ねた。
組織の中ではやりたいことをやれず、退職も容易ではなかったが、59歳の時に県庁を退職し、専業農家となった。
地区の農家組合を10年ほど続けたが、面白くなく、
自然栽培のことを話ししたら20歳も年上の人が「面白いんじゃないんか。やれやれ」と後押しをしてくれた。その後も色々な知識をいただいた。その方は昨年亡くなってしまったが、その10年の期間がとても糧になっている。
農薬や肥料を使わないことは、周囲の大反対を受けた。
母親は雑草が生えていると「取れ取れ」とすぐ怒る。除草剤を使わなかったら背丈が伸びたヒエがどえらい量生えて、そのせいで稲が隠れて見えないほどだった。一緒に田んぼを管理していた親戚の叔父が大激怒したが、一切やめるつもりはなく、密かに続けていた。
そんな中、地道に応募していたコンクールで賞を取るようになってから、周囲からの攻撃が少なくなった。しかし、集落の寄り合いで、全国食味コンクール金賞の盾や賞状を見せたが、それでも理解を得られた実感はあまりなかった。
村の公民館で試食会も行った。
新潟県魚沼産コシヒカリをはじめ、全国の米を集め、銘柄を隠し食べ比べをしてもらった結果、自分達の米が一番上手いとの評価をもらった。その会を7回ほど重ねた。
しかし、米穀店や量販店にも試食会の招待を出したが、取り合ってもらえなかった。味では評価を得られているのになぜなのか・・・
唯我独尊で我が道を行く百姓が多い中、そうやってより多くの理解を求めるのは、
「自分だけ良くなってはだめ。皆でやらないと広がらない。まずは自分の集落、ひいては大野を自然栽培の特産地にしたい」という大きな目標があるから。
自然栽培は収穫量が少ないので採算が取れない。大野はどこでも米が売っていて、安いものもあるから、家計のことを考えると買ってもらえない。ふるさと納税ではある程度の評価があるが、リピーターになってもらえるかはわからないから安定感がない。
全国の農家の課題である後継者問題、結局はお金にならないと農家はやっていけない。国から飴玉程度の補助を貰っても、苦しいのは変わらないし、根本を解決しないと変わらない。
「農業だけでは苦しいことは皆んなわかってやっている」
米農家の課題は山積みである。
こだわりのピロール米や減農薬のお米を作っている生産者もいるが、自分たちで販路開拓することは難しい。とことんこだわった米作りがちゃんと評価につながり、作り手に反映される流れを模索し続けている。
やはり環境にも配慮する気持ちが強いんですか?という質問に、
「環境にいいから自然栽培をやっているという意識はない」
と、意外な答えが返ってきた。
「自然に順応しているので環境が戻ってきてあたりまえ。素直にやっていれば元に戻る。縄文時代から米作りをやってきた日本人が日本人の体を取り戻せば、ウイルスにも負けないはず。人の体が元に戻れば、環境も自然とついてくる」
自然栽培は人の体も地域の環境も、穏やかに元あった姿に戻す行為なのかもしれないと思った。
お母さんも高齢で少しずつ痴呆が進んでいるが、たまに田んぼに来て目につくと「雑草生えてるぞ。」という。
子どもや奥さんは最近美味しいと言ってくれるようになり、外食先での食事でも米の味を気にするようになってくれた。
若い人や新しい政治家からの食を見直そうというメッセージが増えてきて、自分が調べ、研究してきたことの点と点が線になってきた。
「あと寿命はどれだけあるかわからないが、自分に残された仕事はこれしかないと思っている。誰がなんと言おうと、残りの命をかけてやれるだけやる」
「日本人の身体を守りたい。そのためにまずこの村から」
取材を受けた経験はほとんどないらしく、写真を撮っていると「俳優になったみたいや!」と喜んでくれた。
優しい笑顔から時折見せる真剣な眼差しには、底知れぬ力が宿っていて、この人は本当にこの地の農業を変えていくのではないかと期待せずにはいられない。
周囲の反対にあいながらも、利他的で大きな愛と、どこまでも信念を貫き通す心を持って「奇跡のお米」を作り出す松田さん。
これから必ず時代が求める存在になっていくに違いない。
そして、ゆるやかにおだやかに、自然栽培が一つの選択肢としてこの地に根付くことを心から願う。
屋 号 | 四郎兵衛 |
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人 | 松田雅之さん |
歴 史 | 2000年ー |
CREW
- text・photo / 長谷川 和俊